ichi-h哲学というものの、そもそもの定義が難しいですが、私が哲学を行うということは、数ある視座の中から自分自身はどこに身を置き、どのように世界を捉え、どのように行動すべきかの指針を考えることと仮定しています。
様々な哲学者や思想家の考えを自分なりに咀嚼したり再構築するわけですが、そこにおいて彼らの思想を正確に理解することや、構築する論理の一貫性や正しさなどは必ずしも重要ではなく、それらの思想や論理を現実に応用し、その過程において自分自身が幸福であり続けることを最も重視します。
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特に影響を受けている人物
設計で人をハッピーにすることを目指しています。
設計とは、問題やプロダクトをあらゆる視点と画角をもって解釈する行為です。
例えばビジネスの視点で見れば、何を問題として捉え、なぜそれを解決する価値があるのか、何ができれば問題は解決されるのか、何をもって解決されたと判断するのかなどを考えます。
また技術から見れば、それを具体的にどういった手法でそれを実現するのかを考えます。ここにはいわゆるアーキテクチャというマクロなものから、コーディング規約といったミクロの視点まで含みます。
他にもセキュリティやテスト、デザインなど様々な解釈がありますが、それらすべては問題を中心に繋がっており、抽象から具体まで連続的なグラデーションを内包した設計として構築されることになります。
これにより仮説や問題解決の方針が有効であるか(あったか)を確認・検証したり、シフトレフトの実現、チームの共通認識の構築、ドキュメント駆動開発(DocDD)の基盤構築などに貢献します。
もちろん、問題が常に変化し続けるように、設計もそこに合わせて変化させる必要があるため、永久に完璧な設計というものは存在しません。
もしあるとするならば、現状の問題を解決でき、今後起こるかもしれない未知の問題へ最高の品質で対応し続けることができる設計が理想的というべきでしょうか。
しかし、そうした設計を実現することは現実問題として不可能です。
理想的な設計を構築すべく慎重に作り込むことが、逆に最も達成すべき品質に直結しない場合もあります。開発スピードなどは典型的な例です。
つまり設計とは、言わばその場その場で移り変わる問題の上で、不安定に揺れ動くシーソーゲームのようなもので、このバランスを取ること、つまり品質のトレードオフを適切に判断し、完璧ではないかもしれないが有効と考えられる意思決定を行うことが重要と考えます。
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特に影響を受けているもの
もし哲学が現実の問題を語るのであれば、アートは現実の問題を示す営為だと考えています。
ただしここでいう問題とは、いわゆるIssueといったものだけではなく、言ってしまえば人間が認識しうるもの、あるいはそれすらも超えるものすべてが含まれます。
単なる意味の関係性で構築されるものではなく、言葉を超えた言葉で、音を超えた音で、形を超えた形で、あらゆる手段を用いて理性では捉えられない何かを表現しようとする営為がアートなのではないでしょうか。
私もその何かを示そうとしていますが、それが何であるのか、そもそも自分自身が何をやっているのかすら、よくわかっていません。
あえて言葉にするならば、その時の感覚やその場の雰囲気が見えるようなものを作りたいのかもしれません。
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